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いっせいピョン

いっせいピョン

一生のこと2000.9.28~200011.15

一生がこの世に生まれるまでにあなたの兄弟は光を見ずに眠ってしまいました。

一生は私のお腹の中で駄々を言って私を困らせてばかりで、私は入退院の日々でした。

一生が生まれる2ヶ月も前から私は入院、でも毎日お祭りの太鼓の音が子守唄でした。

一生は帝王切開で生まれました。私はうれしくて腰椎麻酔の痛みを感じなかったむしろ、ニコニコしていて看護婦さんに「痛くないの」と聞かれてしまいました。
一生がお腹の中にいるとき、“ちち”は「祭りちゃん」と呼んでいました。
一生が生まれたとき私はちょっとがっかり、女子がほしかったの。でも“ちち”は女の子の名前だけ考えていたの、男の子が生まれたら子供の顔を見てゆっくり名前を考えるつもりだったみたい。(“ちち”は男の子がほしかったの)
一生が生まれて青い顔が続いて私はこの手に一生を抱くことが出来なかった。
“ちち”はドクターカーより後に車で病院に行ったのにドクターカーより早く病院に着いたみたい(“ちち”の心配さが手に取るように伝わりました)
2000年9月28日 体重2,706kg出産後、総合病院へ搬送
病名 ファロー四徴症。二分脊椎
1歳6ヶ月ぐらいに手術が必要と、告げられる。
“ちち”が総合病院から帰ってくるまで私は切れた麻酔を我慢 していました。
“ちち”が総合病院から帰ってくるなり名前を明日まで考えて市役所に届けなくてはとあわてていました。私は名前を考える余裕はなく、痛みをこらえるだけでした。
“ちち”が一生懸命生きるようにと「一生」と名づけました。
ほんとに一生は名前のごとく一生懸命生きる子だと思います。
“ちち”は仕事が終わって総合病院で一生に面会ミルクを飲ましたり、お風呂に入れたりして私のところに面会。忙しい日々が続きました。でも“ちち”は嬉しさいっぱいでした。

2000年10月10日  一生が生まれて、初めてお家に帰ります。
             今日は一緒に寝ることができるね!
             病院から、帰ったらお風呂に入ろうね、

2000年11月 9日 ファロー四徴症(無酸素発作)の為、入院
            今日は一生の外来受診日、でも朝から一生の様子
            がおかしい、ちちと心配しながら診察室へ。
            「2、3日様子を見るので入院してください」母は
            一生と一緒に病院にお泊り、一生は泣いて
            ばかり母は眠れぬ日が続きました。

2000年11月11日 ファロー四徴症(無酸素発作)の為点滴、
            酸素吸入、栄養チューブ
            母は一生と同室が出来なくなり自宅に帰る
            (このときから面会時間内だけ一生に会う
            ことが許される。つらい日々の始まり)

2000年11月15日 一生1回目の手術
            体肺動脈短絡術(m-BTシャント術)
            右の腕の付け根を切開、静脈と動脈を人口
            血管で繋ぐ手術。
            AM12:20一生が大きな目を開いてちちと
            母の顔をはっきり見ていました。
            控え室で二人長い時を待ちます。無事に
            手術が終わりますように!
            予定の時間(4時間)が過ぎても一生の
            手術は終わらなかった。
            PM07;30一生と面会。指の先がピンク色で
            温かくなっていました。
            手術が終わって一生に面会したとき母は涙が
            止まらずハンカチが、びしょびしょになって
            しまいました。
            母は一生が「かわいそう」と思いました。
 
            しかしこの後決して「かわいそう」とは
            言えぬつらい日々がまっていました。





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